札所5番・語歌堂(ごかどう)
ブログにすると5回に分かれるが、全部一日の出来事だ。昨日テレビで、キラーストレスの番組をやっていて、マインドフルネス(瞑想)がストレス対処に効果をあげているということだった。辞書を見ると、「マインドフルネスとは、仏教におけるサティ(正念)から、宗教的要素を除き、メソッド化した自己啓発や心理療法として用いる瞑想をベースとした、エクササイズであり、テクニックであり、状態である。」とあるので、座禅の瞑想とは違うのでしょう。でもこの日、僕が5番まで歩いたことは、僕が勝手に考える歩く座禅みたいなものだった。余計なことを考えると、疲れを意識してしまうので、とにかく前に進め!と脳みそは言っていた。
4番終了時点で、まだ午後1時前だったので、できれば6番、7番といけるかもしれない、と思って歩くスピードを上げた。道は平たんで歩きやすい。5番までは1.3 km。巡礼古道というよりも、単なる田舎の道を歩き進む。雨は降り続いていたが、とても快適だった。ただ単に歩くのは退屈じゃないかと思って用意しておいたipodは結局使うことはなかった。耳に入ってくる自然の音のほうが、気持ちよかったし、自分の足音がリズミカルに聞こえてくることで、さらにステップに弾みがつくような気がした。毎日の生活もこんなもんだろう、と思った。
右手に何かお寺らしき古い建物が見えたら5番だ。ここは敷地に囲いのないオープンスペースで巡礼古道に面して敷地が広がっている。どこからでも入れるが、やはり丁寧に山門をくぐる。今回はまじめにやるのだ。お辞儀は必要なのだろうか、と疑問が沸いてくる。神社ではお参りの際、お辞儀をする。最近では、帰る際に鳥居を過ぎた時、またお辞儀する人も多い。厚い信仰心から生ずることなのだろうか。しかしお辞儀はきっぱりと行わないと非常に見た目が悪い。気持ち悪いのか、または目が悪くて足元が見えないのか、首が痛いのか、意味不明な動きにもみえる。僕は人以外にお辞儀をするのはどちらかというと苦手だ。厚い信仰心はないし、なんとなく気恥ずかしい。
とりあえず帽子をとって、うなずくようにして山門をくぐって本堂でお経を読む。5番はご住職不在のため、ここではご朱印がもらえない。長興寺に行かなければならないが、近いので特に問題はない。1時半にこの日の予定は終了してしまった。長興寺のご住職は優しい方で、いろいろ教えてくれる。6番、7番にも行けるが、一旦そっち方面に行くと駅が遠い。先に10番に行けば駅への帰り道だし、ご朱印ももらえるな。疲れて帰るなら、西武秩父駅行きバスは5分ほどのところと言って、時刻表を見せてくれる。でもすごく疲れているならタクシーも呼べる。あらゆるオプションが完備されている。
長興寺はきれいなお寺。
今回は番号順にこだわっているので、どんなに遠回りになっても順番にめぐるつもりだ。しかし、ここから6番までは2.7 km、約40分と思ったら、やや気持ちが萎えてきた。登山じゃないが、迷ったらやめておくほうがいいだろう。34番までの巡礼が早く終わってしまっても楽しくないし、本日はここまでとしよう、との合理化が頭の中でおこなわれ、バス停まで戻った。次のバスまで約10分。これなら次のバス停まで歩いていって待てるな、と思って歩き始める。すぐ次のバス停到着。また同様に歩いてしまう。結局、繁華街まで歩いて戻ってしまう。バスに乗るのももったいないので、そのまま単なる街歩きとなる。ここで疲れがでてきた。目標のない歩きは疲れるのだ。と同時に、次の日の仕事のこととか、次々にあまり楽しくないことが頭に浮かんできて、なんとなく落ち着かない。小さくなったジョージア缶コーヒーを一本飲んだら、家に帰りたくなった。
早くまた次歩きたいものだ。
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